マスター・エリオ・グレイシーの折れない闘争心について書きます。
参考資料のうち、一番、大きな割合を占めるのは今回も増田俊也先生のゴンカクの連載、「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」です。
現役時代のエリオ・グレイシーの戦いの歴史はグレイシー柔術の強さを身を持って証明する他流試合の歴史でしたが、1951年10月23日に行われたプロ・キャリア17戦目の木村政彦戦はエリオ本人も陣営の兄弟達も「勝てるとは思っていなかった」試合だったそうです。
当時のグレイシー柔術の総帥、長兄、カーロスは「技が極まったら必ずタップすること」を弟・エリオに約束させて、やっと試合を承諾したと言います。
そして、試合は練習らしい練習をせずにエリオの挑戦を受け、余裕で勝負に臨んだ鬼の木村が一方的な展開でTKO勝利を収めるのですが、「私が負ける可能性は皆無だ」と自信に満ちて語った試合前の木村は二つの宣言をしています。
「大外刈りは使わない」
「3分間、抵抗できるようなら彼を勝者として認めよう」
昔の柔道家の真のトップどころは大外刈りの打ち込みで樹木を根っこから引っこ抜いたと言われますが、木村政彦の伝家の宝刀、大外刈りは対戦相手が恐れるあまり、木村が大外の体勢に入ると「それだけは勘弁を」と言って自ら尻餅をついたというほどの切れ味です。
結果的に木村は2ラウンドに、その大外刈りを炸裂させることになるのですが、動画で残っている木村ーエリオ戦の大外刈りの電光石火のスピードを目の当たりにすると、「それだけは勘弁を」と言って自ら尻餅をつくことの出来る人間のスピードこそが凄い(笑)と私は思います。よっぽどの恐怖心なのでしょう(笑)。
エリオは、木村が自ら禁じた大外刈りを出させるに至り、試合時間も13分20秒に及んだ訳ですから大善戦したことになるのですが、13分20秒の時間に凝縮されていたのは木村の強さと余裕、そしてエリオのハンパじゃないディフェンス能力の高さと絶対に「参った」しない闘争心です。
第一ラウンドは、昔ながらの組み手争いなしで組み合う立ち会いから、木村が投げて投げて投げまくります。
投げては起こし、投げては起こす。
立ち技での木村政彦の1000%有利は動かしようがありません。しかし、寝技中心の高専柔道出身でありながら柔道全日本選手権を制した歴史上唯一の王者である木村がグラウンド状態になったら不利になるということも100%ないのです。
木村はさんざん投げた後に寝技を得意とするという触れ込みのエリオに胸を貸すべくグラウンドに入ります。それもマウントで。
そして腕絡みや腕十字、あらゆる絞めを上から狙っていきますがエリオはことごとく凌いでいきます。
いいですか、みなさん。 1940年代の地球上で、もしかしたら本当に霊長類ヒト科最強だったかもしれない木村政彦に連続で投げられた後、次から次に続く関節技と絞めの仕掛けを凌ぎ続ける、って普通の人間じゃ出来ませんよ、マジで。
それに木村はマウントの状態では体重をうまく乗せて常にエリオの呼吸を邪魔しており、エリオが呼吸しようと体を動かす度に、その動きに合わせて仕掛けていたといいますから、まさしく「なぶり殺しです」。
これを凌ぎ続けるディフェンス力と諦めない心は、あっぱれの一言。
しかし、ついに木村の袈裟固めに捕まります。
袈裟固めは首を抱える方の向こう側の手が相手の脇を差していないでヘッドロック状態の場合、柔術ではneck crank(頸椎圧迫)として反則認定されます。
エリオが木村に極められたのは、まさにこのカタチで、頸椎へのプレッシャーもかかっていたそうですが、写真を見ると、首の痛み以上に体重が思いっきり乗っていて、相当、肺が潰されて呼吸が苦しいだろうなあ、という印象です。
しかし、もっと凄いのは、この時の有名な「耳からの出血」です。
「袈裟固めで耳から、かなりの出血」と言われれば、How?としか言いようがないのですが、それほど木村が怪力で絞り上げたということ。
このエリオの耳からの出血を見た木村は力を緩め、ブロークン・イングリッシュで「大丈夫か?」と訊き、エリオが「もちろん大丈夫だ」と答えたので、また更に絞り上げたといいます。
それでもエリオは参ったしない。何たる闘争心。
そして、痛め技で参ったしないのなら落とそう、と思ったのではないかと私は推測しますが、木村は横三角絞めに移行し、エリオは炎の闘争心によって「参っただけはするまい」と思っているうちに落ちます。
しかし、木村はエリオの失神に気づかず、次の攻撃のためにマウントに戻ります。そして、この時の木村の動きでエリオが覚醒し、マウントからの攻撃をさらに凌ぎ続けて第1ラウンド終了。
この項をここまで書いた私の疲労感も相当のものですから、増田先生の執筆の際のアドレナリンとぶり返しの疲弊たるや大変なものだったでしょう(笑)。
第2ラウンド、粘るエリオの後頭部をマットに叩き付け脳震盪による失神KOを狙って木村はついに伝家の宝刀、大外刈りを繰り出します。
エリオが失神を免れるとグラウンドで引き続きコントロールし、執拗に腕絡みを狙って最終的にガッチリと極めるのですが、エリオはタップしません。
長兄・カーロスとの約束も無視してタップしません。
結果的にカーロスが場内に駆け込み木村の背中を叩いてタオル投入の替わりのタップをするまでにエリオの腕からは段階的に三回に渡って骨の折れる音が響き、抵抗する力の気配すら残っていなかったそうです。
私はファイターに対して、怪我してもヤセ我慢して根性を見せろ、とは決していいませんが、マスター・エリオ・グレイシーや、拳の皮が裂けて骨が見えている状態でも組み手を続けたことのある空手の黒澤浩樹の域に達した「諦めない闘争心」には唯事ではない畏怖の念を感じます。
人間にとって可能な領域の限界の壁を触った凄玉に対して畏敬の念を持たぬ一般人などいるでしょうか?
エリオは一族の誇りを背負って命を賭けてハイリスク・ハイリターンの決闘に挑み、敗れてなお、偉大なる木村政彦に改めて深い敬意を抱き、木村は「腕が折れ、骨が砕けても、死ぬまで試合を続けようと闘ったエリオの闘魂は日本人の鏡だ」と最高の賛辞を寄せ、エリオに日本に指導者として来てくれまいかとまで言ったのです。
柔道/柔術の源流である日本の競技人口のピラミッドの頂点に数年間、君臨した男がエリオに対して日本に来て指導してくれまいか、と言ったのです。
木村政彦のPRIDEは「高慢な自尊心」では決してありません。「謙虚である勇気を持ち自信に裏打ちされた自由奔放さ」です。
闘いを通して深く認め合った二人が再会したのは木村政彦の死から6年後、講道館の資料室です。
長年の夢であった初来日を果たしたエリオは柔道の総本山、講道館の資料室で若かりし日に命がけで闘い大怪我もさせられた盟友の写真と相対し涙を浮かべたそうです。
今頃は二人とも笑顔で肩を叩き合って再会を喜んでいるのではないでしょうか。
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