「かもめ食堂」と「めがね」の監督、
常に自らの脚本で撮る監督、
気持ちいい風の中のハンモックでの昼寝のような緩やかなリズムの(されど退屈ではない)映画を撮る監督、
萩上直子(おぎがみ なおこ)監督の劇場版長編5本目の最新作、「トイレット」を観てきました。
一昨日の土曜日に公開になったばかりです。
私は萩上監督の最初の2本も観ているので、そのうち「監督のデビュー作」か、5本まとめてで書くこともあるでしょう。
ちなみに作風とキャストで「プール」という映画も萩上監督だとばかり思っていたのですが大森美香という監督の作品でした。
ちなみに「トイレット」上映開始前の予告編でかかった「マザーウォーター」という映画も作風、キャストが思いっきり萩上監督風で、私は「2連チャンかよ!」と心中、ビビってタジロイだのですが、こちらは松本佳奈という監督の作品です。
さて、「トイレット」。
実に全く、おもしろかったねえ(笑)。滅っ茶苦茶、台詞が生きてる!
特に海外在住の日本人にはぜひとも観てほしい。アメリカ大都市の名画座系の箱での短期間の上映はあるだろうし、アメリカとカナダでのDVDリリースは確実だと思われます。
私が1987年に渡米してしばらくの間は私のアメリカでの日本人の友人というのは、ほぼ100%、F-1(学生)ビザでアメリカに住んでいる留学生達でした。
しかし現在、アメリカに住んでいる私の日本人の友人達は殆どが「一世」です。
「一世」というのはすなわち、米国永住権でアメリカに住む国籍日本人であるにせよ、米国市民権を取得した日系アメリカ人であるにせよ、日本で生まれ育ち、人生のどこかで生活の場をアメリカに移し、アメリカで家庭を持ち、日本には中年以上の年齢となった親がいるという状況の人達です。
「一世」の子供達は「二世」であって、「一世」よりも「三世」よりも自分達のアイデンティティーに悩む世代ですが、一世にとってはアメリカでの家庭と日本に住む年老いてゆく親との折り合いをどうつけていくか、というのが切実な問題です。
かつて、この辺のところをサンディエゴのパスターマックに相談した時、彼は「カリフォルニアで付き合いのある日本人達、40代・50代の日本人みんな、特に俺らみたいな長男、みーんなが抱えてる問題なんだよ」と言って話しを聞いてくれました。
人それぞれ折り合いの付け方というのは違いますが、長いこと海外に住む人間にとっては同様に重い問題です。
この辺の背景を脚本のバックボーンにして作られた映画というのは中国人や中国系アメリカ人の監督達が何本か撮ってきていて非常に興味深い作品に仕上がっています。
基本的なパターンはアメリカで家庭を持つ中国人が長男の責任で親を故郷から呼び寄せるも親は英語を話せず孫とのコミュニケーションも上手く行かない、奥さんがアメリカ人であれば文化の違いに互いがとまどう、という、笑うに笑えないコメディーです。
しかし、今までに「一世」が祖国から親を呼ぶというところまでの映画は存在しましたが、呼んだ親よりも呼んだ本人の方が先に亡くなってしまって「英語を喋れない老人と孫達が残される」というところまで踏み込んだ作品は、少なくとも私が知る限り存在しませんでした。
「トイレット」は、そのパターンです。
もたいまさこ演じる、全く英語を喋れない「ばあちゃん」を呼び寄せたMomが亡くなってしまい、ほとんど全然、日本語を喋れないハーフの三兄妹と「ばあちゃん」の4人の生活がスタートする。
三兄妹の父親に関しては全く何も語られません。
三兄妹を演じた若い役者達はカナダ人で撮影もトロントで行われたそうですが、作中、カナダを示唆するものは何も出てきません。
いくつかの台詞を鑑みれば設定は、あくまでもアメリカのどこか、ということになっていると思います。
日本人の監督が脚本を書いて撮った作品ですが台詞は100%、英語です。
普通、英語を全く喋れない日本人のおばあちゃんというのは相手が日本語を分かろうが分かるまいが日本語で話しかけるものなのですが、この作品の、もたいまさこは、とことん喋りません。
この一点は物凄く非現実的なのですが、その演出によって作品が物凄くシンプルで骨太になり、三兄妹の英語の台詞がバリバリに生きています。
そして、いちいち「あ〜、あるある」と笑ってしまう場面が出てきます。
これは別にネタバレにはならないと思うので私のツボにはまりまくったシーンをひとつ紹介します。
4人が家で食べる夕食のテイクアウトの寿司。
刺身が全く存在しない、握りと巻物だけのパーティー・トレイの飾り/隙間埋めに「大根のケン」が使われているのです(笑)。
一目で桂剥きマシーンでクルクルしたのが分かる大根のケン。刺身がないのに(笑)。
日本じゃまず考えられません、少なくとも今のところは。
色も音楽も美しく、台詞が生きてて、屁理屈が楽しい、そしてキャッチコピーは、
「みんな、ホントウの自分でおやんなさい」。
ホントに「人間、誰しもどこかで変わってるのが当たり前」という常識をサラッと提示してくれます。
この映画を吹き替えで上映してほしいとか抜かす救いようのない馬鹿もこの世の中にはいるんだろうけど、この映画を観た後だと「それもまた個性なりかな」と、おおらかに許せてしまうかもしれないよ(笑)。
今作には小林聡美は出演していませんが、私はどうも萩上直子・小林聡美・もたいまさこの三人は、黒澤明、三船敏郎、志村喬のように感じています。
ちょっと大袈裟すぎるでしょうか(笑)。

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