山本小鉄・鬼軍曹が亡くなりました。
ついさっき、知ったばかりですがショックです。享年68歳。
有史以来で日本最大の格闘技イベント、"Dynamite!"が2002年に国立代々木競技場で開催された日として我々、ハードコアな格闘技ファンにとっては忘れられない「8月28日」が小鉄さんの命日となりました。
昭和43年生まれの私にとっては小鉄さんは現役後期の白タイツ/白シューズ姿と新日本プロレス審判部長、そしてワールド・プロレスリングの名解説者です。
新日の昭和黄金時代の立役者として古館伊知郎は外せませんが古館の相方が東スポの桜井康雄だけだったら、あそこまで盛り上がることはなかった筈。
当時としては極めて珍しかった元プロレスラー解説者、山本小鉄の名調子があったればこそ、放送席とブラウン管のこちら側にうねりが生まれたのです。
新日本プロレスの道場を預かる鬼軍曹の小鉄さんの「基本が出来てるようですねえ」の解説の一言にどれだけ説得力があったか、昭和のプロレス者なら皆、憶えてるはずです。
プロレス界にはポリスマンという隠語があります。手っ取り早く言えば「用心棒」です。
初来日の外国人選手を日本人スター選手と当てる前に実力測定したり、身勝手なトラブルメーカーを控え室でシメたり、海外遠征の際にスター選手に張り付いて文字通り用心棒になったりと、会社が全幅の信頼を置く実力者がポリスマンです。
新日本プロレスという組織において山本小鉄という人は大スター、アントニオ猪木の神輿を担ぎ裏方として睨みを利かせるポリスマンでした。
小鉄さんや星野勘太郎、藤原善明達が新日本プロレスのリングと道場を守っていたのです。
前田日明のデビュー戦について書いた時にも触れましたが、前田のデビュー戦で胸を貸したのは師匠の鬼軍曹、小鉄さんです。
そして、前田のデビュー戦の頃というのは新日本プロレスの道場が一番、厳しかった時期かもしれません。
前田は道場の外に小鉄さんの愛車、キャデラックのエンジン音が聞こえると震えが止まらなかったといいます。
この時期、一時間半か二時間のバラエティ番組の生放送に猪木が出演したことがあります。
そして、プロレスラーの頑健さをお見せするということで収録スタートから番組終了まで小鉄さんがスタジオの隅でスクワットを黙々とやり続けたという逸話があります。
後に「バンバン・ビガロ」か「グレート・アントニオ」だと思いますが日本のプロレスショップが「小鉄のスクワットTシャツ」を売り出しました。
デザインは小鉄さんのスクワットの腰が一番、落ちている瞬間の正面の写真、全身ドアップで、私は「いくらでも送料は払うつもりで」フィラデルフィアから電話したのですが私のサイズが売り切れで追加プリントする予定もないということで断念しました。
小鉄さんは新日本プロレス道場で若手をシゴキ抜いて育て、前田や船木達が新日を出て行ってからも「出て行ったとはいえ、みんな可愛い。他所で活躍しているのは誇らしい」と愛しました。
さっき訃報を目にした時に、60過ぎてパンパンの頑健な肉体だった小鉄さんが、まだまだ若い部類の68歳で逝ったというのはショックでしたが、今日29日、日曜の全日本プロレス両国国技館大会での10カウント・ゴングに参列した船木が小鉄さんの訃報を前田からの電話で知った、というところにも驚きました。
新生UWFに若き血を滾らせ、崩壊に肩を落とし、前田率いるリングスと船木率いるパンクラスの骨肉の争いも目にしてきた者としては、
「小鉄さんの訃報を前田が船木に電話で知らせた」という、
「同じ窯の飯を食った仲間の邂逅」に触れて涙が溢れたよ。
心よりご冥福をお祈りします。

昨日UFC観戦中に尾尾尾氏から訃報を聞き、ショックを受けました。
観戦後、次の襲撃地に向かってると、氏からyoutubeメールが来ました。
そこには小鉄さんが我が第二の故里Hawaiiにて、古館氏とのやり取りが収録されていました。とりあえず近くのガソリンスタンドに車を停めそのやり取りを観ていると、涙が溢れ出て来ました...(アトランタにて、悔しくて泣きたい事もあったので..)
三連チャン期待してます。
ついでに、我が実姉は東京に上京した当時、山本婦人にとてもお世話になったそうです。
投稿情報: 山本小虎 | 2010/08/29 17:47
俺らにとっては不死身の印象が強かった人だもんな。
ところで三尾りんも書いてたけど、「三連チャン」って何だ?
投稿情報: たしん | 2010/08/30 05:56
老いたりとは言えども、まだ肉体はパッツンパッツンだっただけに、ビックリしました。
まさに、突然の訃報です。
今から30年以上前、山本小鉄監修で、プロレス技のイラスト解説本が出ました。
私たちプロレス者は狂喜乱舞。このテキストを元に、技の研究に励んだものです。
ボウ・アンド・アローで、デスロックに畳んだ相手の足を、外れぬようにロックする方法を読んだ時、仲間同士で「ホ~ッ!」と嘆息したのを覚えています。
投稿情報: オーハ | 2010/09/03 17:17
かつての新日本プロレス学校とて、小鉄さんに教えてもらえるという謳い文句がなかったら応募者は十分の一以下だったでしょうね。
愛妻家で子煩悩で有名だった小鉄さんですが、娘が生まれてからの日数を毎日、何万何千何百何十何日と言えたというのは尋常じゃありません。
投稿情報: たしん | 2010/09/03 17:38