自分は果たしてSABUという映画監督のファンであろうか、と自問してみると、「嫌いではないけど決してファンという訳でもないだろう」という答えが出てきます。
なのに何故か、20分間のショート・フィルムである「A1012K」を抜いた、これまでのfeature lengthの監督作品全10作中、9本も私は観ています。
10本をリストアップしてみると、
「弾丸ランナー」(1996)
「ポストマン・ブルース」(1997)
「アンラッキー・モンキー」(1997)
「MONDAY」(2000)
「DRIVE」(2001)
「幸福の鐘」(2002)
「ハードラックヒーロー」(2003)
「ホールドアップダウン」(2005)
「疾走」(2005)
「蟹工船」(2009)
私が観たことがないのは「ポストマン・ブルース」。
何故、9本も観ているのか?と分析してみると2つの理由が思い浮かびます。
SABUという監督の特徴はまず「役者を走らせる」ということ。
とにかく、SABU作品に出演するには長時間、走れなければなりません。そして、この「役者を走らせる演出」と連動したスピード感に私は惹かれるのだと思います。
そして、もうひとつは殆どの作品が「時の一致」であること。
ラストシーンのみ数日後、というパターンも含めて、物語が始まって終わるまでが一日、という「時の一致」の脚本で撮られた作品が私が観た9本中、実に7本。
私は「時の一致」は実に好きなので、SABUが撮った映画となると無意識に「時の一致でスピーディー」を期待するのだと思います。
私が初めて観たSABU作品はデビュー作の「弾丸ランナー」。
これと「アンラッキー・モンキー」はフィラデルフィア市内で日本語ペラペラの韓国人の兄ちゃんが両親とやっていた日系の雑貨屋の奥のレンタルビデオ・コーナーで借りて観ました。
彼は店がヒマな時は、よくハングル語版の日本の漫画を読んでいました。私が憶えてるのは、あだち充の「タッチ」。
「弾丸ランナー」は、全く相関性のない3人の男を演じる主演俳優、堤真一、田口トモロヲ、ダイヤモンド・ユカイの3人がタイトルそのままに走って走って走り続けます。基本的には三人とも別々の何者かから逃走し、それぞれを追う追跡者達もひたすら走り続ける、という、「弾丸ランナー」な(笑)デビュー作。
走る主役の三人は、
「自分のミスで組長と兄貴を死なせてしまったヤクザ」→ 堤真一
「仕事と失恋のストレスで銀行強盗を企てた冴えない男」→ 田口トモロヲ
「シャブ中ミュージシャンのコンビニ店員」→ ダイヤモンド・ユカイ
とにかく、SABUの後の作品で垣間見れるエッセンスが詰まった「時の一致でスピーディー」なイケイケのエネルギーに満ちた一本です。
ちなみにSABU監督作品はデビューから5本まで主役は全て堤真一です。
常連俳優は大杉蓮、寺島進、塩見三省などで、「幸福の鐘」は確か、寺島進の初主演作だったと思います。
SABUの作風は2005年公開の「疾走」から大きく変わります。
それまでは暴力描写はあっても基本線はユーモアとスピード感と非常識の面白さだったのですが、「疾走」は絶望と不条理に満ちた世界で何とか再生を模索する内向的な一本です。
「蟹工船」は小林多喜二の原作を読んだことがある私としては、SABUのメガホンによる映画化を初めて知った時、「舞台がずっと船の中じゃ走らせようがねえじゃねえか」と思いました(笑)。実際にSABUの作品なのに誰も走りません。
あそこまで全部が全部、スタジオで撮られた作品というのは蟹工船内の閉鎖感は見事に演出されているのですが、開放感がない映画は私は苦手なので、正直なところ、終わった時にホっとしました。
最後に、SABU自身がクリスチャンかどうかは分かりませんが、作中、行儀良いアプローチでも、カッ飛んだアプローチでも、キリスト教的メッセージを垣間見ることが何度もあります。
代表的なのは「疾走」における、蔵を改造して作られた教会と、豊川悦司、演じる神父の存在です。
実に印象に残っているのが豊川悦司・神父が中学生に「運命と宿命の違いが分かりますか」と訊くシーン。
中学生の女の子が「宿命は恐い感じ。運命は何とかなる気がする」と答えます。
豊川神父の定義は、
「人間は必ず死にます。これが宿命です。 どう死ぬのか。これが運命です」
「ホールドアップダウン」では、かなりハイテンションな台詞の中に何度、「神様」という言葉が入っていたか分かりません。
だけど、あの映画はシャレの効かないクリスチャンが観たら絶対に怒るな(笑)。

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