現在の30代、40代のプロレス・格闘技者達がかつて血道を上げた新生UWFのピークは"U-COSMOS"であったと言ってしまって差し支えないでしょう。
1989年11月29日、SWS旗揚げ前のメガネスーパーが冠スポンサーとなって開催し、6万人を動員した東京ドーム大会です。
この大会のカード編成は第一試合の中野龍雄対宮戸茂夫以外は六試合全て異種格闘技戦で、第二試合の安生洋二対チャンプア・ゲッソンリットは当時としては珍しく契約体重が設けられた試合でした。
当時の安生が減量した、というのは私は憶えているのですが何キロに合わせてどのぐらい落としたか、というのは気にかけていませんでした。
しかし、最近になって、この試合の契約体重のことを読む機会があり滅茶苦茶、驚きました。
当時のUWFというのは体重無差別で、「とにかく全員、100キロを目指せ」という状態でした。安生も当時の体重は公称で98キロ。
そして対戦相手のチャンプアは何と、たったの75キロ。
ムエタイでは70キロを越えると重量級で、選手の絶対数が少なくなり、試合を組んでもらうのが大変なのですが、それでも当時のUWFの選手と試合を行うにはあまりにも軽すぎます。
それでは契約体重は何キロだったのかというと、チャンプア側の「体重差は10キロまでにしてくれ」との要求により85キロ!
今じゃ全く考えられない(笑)、というより考えつかない、おおらかさ(笑)。
ルールも寝技制限なし、ロープエスケープやり放題、チャンプアはボクシング・グローブ着用、安生は素手、という、明らかにMMAではない、牧歌的な「異種格闘技戦」仕様でした。
試合結果は、チャンプアを寝かせたい安生のタックルに合わせてチャンプアがカウンター狙い、チャンプアは組まれるとロープエスケープ、の繰り返しで、三者三様、1-1の判定引き分けでした。
それにしても「体重差は10キロまでにしてくれ」という言い回しは強烈です。ちょっと日本格闘技史の語録に残る名フレーズとも言える(笑)。
しかし、10キロの体重差を許容するファイターを「今じゃ考えられない、凄え」と言っている現代において体重差約30キロ以上の無差別級の闘いをこれまでに10試合もやってきているミノワマンは超人だわ(笑)。

懐かしいですね~~~
さすがに、この時は密航できず
名古屋駅前の映画館(セントラル?だったかな)で
クローズドサーキットを生中継で見ました
300人で、固唾をのんで見たのを覚えてます
安生選手の絞った身体は、新鮮でしたし
本物のミドルを見て、観客のどよめき具合がすごかったのを
覚えています~~~
自分は藤原選手のキックパンツにどよめき
スタンディングアキレス腱に熱狂し
映画館の中で、全員で、藤原コールをしたのは
いい思い出です~~~
投稿情報: ケーシー | 2010/06/04 04:51
さすが!
全国各地でのクローズドサーキットで合計10,000人ぐらいが観たんだったと思いますが、ケーシーさんもその中の一人でしたか。
映画館で藤原コール!
そういう純粋な馬鹿共の熱い時代でしたねえ。
昭和30、40年代の映画館で「いよっ! 健さん、待ってましたあ!」という声が飛んでたのと根っこは同じですね。
投稿情報: たしん | 2010/06/04 05:12
思い出しちゃいましたんで
動画UPしちゃいますね~~
たしんさんの名前とURLも
出しちゃいましたが~~~
今日はそういう日かな~~~
投稿情報: ケーシー | 2010/06/04 05:32
どんどん、やっておくんなせえ!
投稿情報: たしん | 2010/06/04 05:37