格闘技動画サイトで最近、アップになった「ヒース・ヒーリング対レネ・ローゼ」という試合を見つけました。
すぐさま、「え?いつの試合だよ?」と思ったのですが両者ともにかなり若いのでレネ・ローゼが日本で安田忠夫とやった後あたりだろうと見当をつけました。
調べてみると、2000年3月5日のオランダの2H2H(Too Hot To Handle)の第一回大会でした。安田が絶対に勝つと私が思ったレネ・ローゼとの試合でハイキックKO負けの辛酸を舐めた夜から一年半近く前、PRIDE時代、ずっと私が応援していたヒース・ヒーリングの日本初登場より三ヶ月前の試合です。
オランダという国は格闘技王国ですが根幹はキックボクシングで、MMAの興行の歴史は浅く、リングス・オランダの大親分、クリス・ドールマンが奔走して開催した"Free Fight Gara"の1995年が黎明期となります。
オランダにおける総合格闘技の人気はキックボクシング/K-1に比べると今だにかなり落ちます。理由はバイオレンスのイメージを払拭し切れないから、と、もうひとつは実際にバイオレントな試合をする、総合格闘技のルールと存在理由を尊守しない選手が多すぎるから。
そして、レフェリングの質がロクに向上しなかったから。
中期のリングスは基本的に一年のスタートが三月で、トーナメント決勝による年間シリーズの締めが一月、そして二月はリングス・オランダかリングス・ロシアの興行に日本人選手が参加、という流れでした。
当時のリングス・オランダ大会の最大の特徴は「こんなんだったら俺にやらせろよ」と毎回毎回、思っていたレフェリングの酷さ(笑)。
そのレフェリングの使えなさ加減は2000年3月のヒーリング対ローゼ戦の時点でも全く進歩がなく、MMAがかなり発展した10年後の昨日、今日、見てみると、ある意味、懐かしささえ感じます(笑)。
そして10年以上、リングス、修斗、PRIDEを観てきたファンの間では一般常識とすら言ってしまっていいことなのですが、オランダ人ファイターの中には反則のサミング(illegal eye gouging)の常習犯が実に多かったのです。
ディック・フライ、ヘルマン・レンティング、ハンス・ナイマン、ウィリー・ピータース、ギルバート・アイブル、ボブ・シュクライバー、ジェラルド・ゴルドー、レネ・ローゼ。
ゴルドーに至ってはVale Tudo Japan Open Tornament 1995で、サミングにより日本の至宝、中井祐樹の右目を失明させてしまいました。
現在のアリスター・オーフレイムの大活躍がなければオランダはMMAの野蛮人地帯として蔑まされていたことでしょう。
件のヒーリング対ローゼ戦は、ヒーリングがタックルでローゼを転がし責めてる最中でブレイク&スタンドアップと、ローゼのサミング、ヒーリングの抗議、の繰り返しで、最後は片足首を取ってテイクダウンを狙うヒーリングの後頭部をローゼが空いてる足で上から踏みつけ、レフェリーが分けたところで試合再開の合図のはるか前にローゼが不意打ちでヒーリングの頭を蹴っ飛ばして反則負けとなりました。
やってるヒーリング本人ほどじゃないにしろ、観ていて実にストレスの溜まる、最悪のパターンでオランダの特徴が出た最低の試合でした。
ヒーリングは試合後、「こんな国には二度と来るかい!」と思ったろうね(笑)。

なんか…オランダひどい(T_T)
何度か行きましたが
格闘技王国だということを知らなかったせいか
そういうお国柄って感じがしなかったです~
どこまでも、の~んびりしていたような…地域による?
が…さすが巨人の国?女性でも身長170cm超の人ばかりで…
155cm弱の私は、便座に座ると足が浮きました(- -;
投稿情報: 夢子 | 2010/06/08 16:51
夢子さん:
場所にもよるのではないでしょうか。
アムステルダムはマ☆ファナ、ハ☆シシ公認の街だそうなのでパスポートにアムステルダムの入国/出国スタンプがあるとアメリカで税関を抜けるのに時間がかかります。というより別室行きが常識です。
私の友人は別室でバックパックの金属フレームに穴を開けられて、ワイヤーの先についた小型カメラで内部に持ち帰った違法薬物がないかを調べられた後、コンド☆ムに入れてそれをお尻の穴に隠して持って来ていないかを調べる目的で、「う☆こ、できるか?」と訊かれたそうです。
友人は「するのは構わないが、もよおしてない」と答えて解放されたそうです。
私がドイツで見つけたマ☆ファナ吸引パイプ専門店のオランダ人の兄ちゃんの話しだと、アムステルダムにおけるマ☆ファナは決して合法という訳ではなく、政府が「オーケーはしてないけど、違法と認定して取り締まってもいないグレーゾーン」なのだそうです。
前田日明とクリス・ドールマンいう人間が存在しなかったら、オランダの格闘家達の多くはナイトクラブの用心棒を続けていたはずです。
私は丸一日だけオランダのふたつの田舎町を観光しましたが、食べるものはすべからく美味しく、目に入る女性は全員、綺麗で、ヤローも男前ばかり、という奇跡の土地の印象(笑)が残っています。
夢子さんはチューリップなどの花を見にいったのですか?
それと数日前にアップしたDuran Duran、懐かしかったですか?
投稿情報: たしん | 2010/06/08 19:20
ディック・フライ、ハンス・ナイマンなど、実に懐かしい名前ですね。あの当時のリングスは、本当にオランダ人の花盛りでした。
そして、おっしゃるとおり、皆、バウンサーあがりか、バンサーとの兼業でした。
私にとっては、それにも増して、オランダと言えば、ウィリアム・ルスカです。(ヘーシンクは、もう少し上の年代)
「ルスカは本当に強かった」と、当時のプロレスラーのだれもが証言していますね。
投稿情報: オーハ | 2010/06/08 23:29
メイン級は日本人対外国人という常識があった頃、異種格闘技戦で猪木に敗れた後に新日陣営となったルスカやバックランドが猪木と組んだ「越境タッグ」に私は惹かれました。もっと後だとMSGタッグリーグ戦優勝に輝いた猪木・ホーガン組もありますが、あの頃はルスカの頃ほどの目新しさはありませんでした。
ドールマンは、ルスカが猪木と異種格闘技戦を闘った時のスパーリング・パートナー兼用心棒として初来日して滅茶苦茶、強かったことが有名ですね。
猪木に「プロレスの異種格闘技戦ではなくリアルファイト」で挑戦を表明して黙殺された言われています。
日本に来る度に六本木あたりで暴れていたリングス・オランダ軍団もドールマンがいっしょの時は大人しくしていたというし、私の目で見ても引退後のドールマンがジャッジで来日している時のオランダ軍団の試合ぶりは気合いが入ってましたよ(笑)。
K-1の主役、バダ・ハリも日本初登場当時は女性が春を売る場所のバウンサーでしたね。
投稿情報: たしん | 2010/06/08 23:59
オランダ→アメリカは大変なんですねぇ…
すごいことまでして調べられるんですね(@@)
私のオランダでのお目当ては、ご察しの通りチューリップ。ぴんぽん♪(^-^)
と、ミッフィー♪とサッカー観戦。
にわか小野くんファンになり、握手してもらいました(笑)
クロケット(コロッケみたいなの)はおいしかったし、金髪の美男美女だらけでした♪
田舎町も何カ所かまわりましたが、Coffee Shop(コーヒーも飲めるけど、マ☆ファナのショップ。喫茶店は“Cafe”)が町の表玄関やど真ん中にありましたね~。
ショップの裏には自家栽培してましたしねぇ…。
成田に着いて、税関でワンコが私の側に来た時は妙にドキドキしました(^-^;
ショップの前を通ったりしてたので、においがついていたらどうしよ~~って…。
Duran Duran見逃してました!
すっごく嬉しいです♪ありがとうございました(^-^)
投稿情報: 夢子 | 2010/06/09 02:21
私はサッカーには全く明るくないのですが、「小野くん」というのが小野伸二という人のことなら、奇遇ですが、私が現在、増田俊也先生の連載「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」を熟読中のゴンカク(ゴング格闘技)最新号の表紙がK-1 MAXの佐藤嘉洋と小野伸二という人のツーショットです。
このゴンカク最新号を買っていなかったらサッカーの小野と言われても全く知らない人でした。
ミッフィーは、そういえば、さくらももこがミッフィーの作者に会いに行った時の写真日記のようなエッセイを読んだことがあります。
とても魅力的なおじいさんでした。
ちなみにクロケットはコロッケみたいなの、というよりコロッケの英語ですね(笑)。確かに美味かった!
投稿情報: たしん | 2010/06/09 03:03
そうそう、小野くん=小野伸ニです(^-^)
クロケット・・・オランダ語でも英語でもクロケットなんですね~!
どおりでコロッケそっくりだと思いました(笑)
初めてオランダ語で注文した食べ物でした・・・「クロケット1個くださいっ!」
投稿情報: 夢子 | 2010/06/09 17:37
私はオランダの田舎の最初の食事の時、「自分は好き嫌いもアレルギーもなく何でも食えるので、何でもいいからオランダ代表、この街代表の料理を宜しく」とオーダーして、出て来たのが「牛の挽き肉のクリームコロッケ」。
日本人の舌にバッチリ合う美味さでした。
ちなみに私がよく行っていたフィラデルフィアのdinerのチキン・クロケットは円錐型でした。
投稿情報: たしん | 2010/06/09 19:55