人種差別というものが抜本的に無くなるかどうかは別として、過去において普通に受け入れられていた差別行為のあれこれが現在では信じ難い人権の冒涜行為として驚愕のうちに語られることは多々あります。
「今じゃ考えられないけど、昔はこんなだったのだ」という語られ方は「昔に比べれば差別は随分、無くなった」という言い方とイコールです。
同性愛も含め、人種差別が軽くなっていくのは当然ながら都会からで、これは民族、趣味趣向、そして価値観が多種多様だからです。
例えば、東京都内の小学校に両親共に中央アジア人の子供が通う場合と、地方都市から更に奥まった人口数万人の町の小学校に同様の子供が通う場合では多少なりとも周りの反応が違うことでしょう。
アメリカにおける、ほぼ単一の価値観が支配する田舎の社会を舞台にした人種問題を取り扱った映画は例えば、
ミシシッピーを舞台にした"Mississippi Burning"
ルイジアナを舞台にした"A Soldier's Story"
ジョージアを舞台にした"Driving Miss Daisy", "The Color Purple"
そして、何処を舞台にしていたか思い出せないので調べてみたら、ルイジアナ、ミシシッピ、アラバマ、ジョージア、と"Throughout the South"の旅の設定になっている"Black Like Me"などがあります。
上記の作品群はすべて昔の、人種差別の色濃かった南部が舞台になっており、「昔の」「田舎は」酷かった、という感想に直結するのですが、決して遠い昔ではない1974年の、全米第六の人口を抱える都会のフィアデルフィアを舞台とした"Pride"となると話しは違ってきます。
Prideという単語は「誇り」の他に「群れ」という意味もあり、"The Lion King"などには頻繁に登場する言葉です。両方の意味において人種というテーマを扱った映画のタイトルには相応しい言葉であると言えるでしょう。
ちなみに、フィラデルフィアで10年以上、続いているゲイ&レズビアンの年二回の祭典は"Pride Festival"です。私はこれはフィラデルフィアならではのものだと思っていたのですが実際は世界中の大都市で行われている国際行事であるようです。
2007年公開の"Pride"は、同じプールで白人の競泳チームと黒人の競泳チームが競い合うことが非常識だった時代の話しです。たったの36年前の話し。
主人公の元・競泳選手のアフロ・アメリカン、Terrence Howardがやっとありついた職がフィラデルフィアの市が運営している(ほっぽらかしている)ボロボロの公共体育施設の管理人で、職務は、税金の無駄使い以外の何物でもないお荷物施設の「取り壊しに備えての準備、片付け」です。
そこには全くやる気のない用務員のBernie Macと、他にやることがないので野外のバスケットボール・コートに毎日たむろしている黒人のティーンエイジャー達がおり、十代のチンピラ達は「ここが取り壊しになったら、俺たちゃ何処へ行きゃいいんだ」とイライラを募らせています。
かつて、黒人であるが故に大会出場が叶わなかったTerrence Howardは、もう何年も水が枯れた状態のゴミ溜めプールを片付け磨き上げ立派な競泳プールとして蘇らせ、チンピラ・ティーン達に目的を与えます。
このチンピラ・ティーン達がアメリカ初の黒人競泳チームとなります。
そして市や州の競泳の大会に打ってでるのですが、時代は黒人選手が白人選手と同じプールに浸かることを許容しません。
その壁を選手達の実力、そして、コーチであるTerrence Howard自身とコーチが選手達に根付かせた「誇り」によって打ち壊していく、という人間個人の枠組みには収まらないサクセス・ストーリーです。
Terrence Howardが演じた人物には実在のモデルがおり、Jim Ellisという競泳コーチで、作中で語られているように黒人初の競泳のオリンピック・アメリカ代表を育てた名伯楽です。
このJim Ellisは今現在もフィラデルフィア同所で水泳のコーチを務めており、毎年、オリンピック代表予選に選手を送り出しています。
余談ですが、私はこの映画を観る前、主役は私が大好きなBernie Mac師匠で、彼がギョロ目をギョロギョロさせつつ、江戸弁英語とでもいうべき歯切れ良い"Bernie Mac Accent"で少年達をどやしつけながら大活躍するコーチだと思っていたので、少々、拍子抜けしました。

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