新日本プロレス→UWF→新日本プロレス業務提携時代→新生UWF→リングス、と自分で望んだ以上に周りに望まれて時代を牽引した前田日明の引退試合は、1999年2月21日、横浜アリーナにおけるアレクサンダー・カレリン戦ですが、デビュー戦は遡ること21年半前、1977年8月25日の山本小鉄戦です。
前田のプロレス入りのきっかけと理由は諸説ありますが、きっかけは新間寿のスカウトということで落ち着くと思います。
Wikiには、佐山聡がスカウトした、と書かれていますが、これは誤りで、「プロレスラーに会わせてやる」と知人に誘われて出かけていったら佐山がおり、付き添っていた新間にスカウトされて「とりあえず一度、東京に来てみないか」と誘われ、行ってみて、いきなり連れていかれたのが猪木の自宅(笑)。
倍賞美津子夫人にお茶を出していただいたりしているうちに入門が決まったそうです。
そして、理由は、「食べ物に困らないから」、「世界中に空手の道場を作るという夢の足がかりになると思ったから」、「新日本に入れば将来的にモハメド・アリのジムに入れてもらえると言われたから」、の三つが一般的に知られています。
敢えて本人ではなくルポライターが書くカタチを取った伝記「無冠」で繰り返し書かれていることですが、中学時代、両親が離婚して父親に引き取られて以来の、全く安定しない、食うに困る生活のつらさが身に滲みているので、食べるものに困らない生活が本当に魅力的だったようです。
特に地方巡業の旅館の夕食は「こんなに豪華な食事を腹いっぱい食べられるなんて、何と素晴らしい職業なんだろう」と思ったそうです。
前田の「無冠」か、高田の「泣き虫」だったか忘れましたが、二人の若手時代の地方巡業の夕食で、旅館の大広間の宴席で前田が笑い、高田が夢中で食べている写真があります。確か、ベースボール・マガジン社が出した「日本プロレス全史」にも使われていたと思いますが、あれは本当にいい写真です。
リングス時代、WOWOWの特別番組で田村潔司が語っていたことですが、新生UWFの新弟子時代にUWFの象徴たる上3人の、前田、高田、山崎は、それぞれポルシェ、ベンツ、BMWに乗っており、道場で練習中、外から前田の到着を意味するポルシェのエンジン音が聞こえると恐怖で身が縮む思いだったそうです。
そして、若手時代の前田も、これと全く同じ経験をしています。
新日本プロレス道場の外で鬼軍曹・山本小鉄の到着を意味するキャデラックのエンジン音がすると、震えが止まらなかったそうです。
来る日も来る日も山本小鉄や藤原喜明にコテンパンにやられ、逆に道場破りにキッチリと教育を施し、どんどん強くなって体も大きくなっていった前田のデビュー戦で胸を貸したのは師匠の山本小鉄です。
前田にとっては無我夢中の5分42秒、アームロックでの黒星でしたが、凄いのはこのあとです。前田信者の間では割と有名な話し。
シングルのみか、タッグも入れての数字かは不明なのですが、前田はデビュー以降、引き分けも挟んで何と67連敗します。
この67連敗中は恐らく、山本小鉄や星野勘太郎や藤原喜明や荒川真にメタメタにやられ続け、初白星以降は若手三羽ガラスのジョージ高野、平田淳嗣らと凌ぎを削る時代になったのだと思います。
「あの前田だって最初は67連敗」と考えると気が楽になることが多々あります(笑)。
コメント