極私的2009年度格闘技界のMVPは一昨年に続いて青木真也です。
昔は東京スポーツのプロレス大賞が唯一無比の権威ある賞として君臨していましたが、あれはやんわりとした誘導投票によって決まるものであることが広く知られてしまっているので「賞」というものを無防備に奉る人以外には有り難みも話題性もありません。
今では色々なメディアが読者投票の形で独自の年間MVPを選定していますが、私の愛読書「kamipro」に"kamipro Award The 2000's"というのが載っていました。
要するに2000年元日から2009年大晦日までの「'00年代」のMVPを考えてみよう、というものです。
実におもしろい。
これは投票や選出という形はとっておらず、kamiproと関わりのあるライターや団体関係者などが各々の意見を述べている独断と偏見のアンケート集です。
項目は4つ。
① 2000年代のMVP
② 2000年代のベストバウト
③ 2000年代のマット界最重大事件
④ 2000年代のワーストMVP
これを私も考えてみます。そしてさらに2項目、
⑤ 2000年代のベスト興行
⑥ 2000年代で一番、観たかった幻の試合
を付け加えます。
① 桜庭和志
昨年10月のゼルグ・ガレシック戦での執念の一本勝ちがなかったら桜庭ではなくヒョードルをMVPに選んでいたところです。
kamipro Awardではアンケート回答者35人中、8人が桜庭を選んでおり、ヒョードルを押さえて一位です。
桜庭の全盛期というのはまさしく西暦2000年です。
前年11月のホイラー・グレイシー戦で、木村政彦がエリオ・グレイシーを腕絡みでのタオル投入で斬ってとって以来48年ぶりに同じ腕絡みで日本人がグレイシー姓のファイターを破るという快挙を成し遂げ、2000年度の一年間で「グレイシー・ハンター」の異名を世界的に轟かせたホイス、ヘンゾ、ハイアンのグレイシー一族連破を含む6試合を闘いました。
2001年度最初の試合でヴァンダレイ・シウバに壮絶にKOされてから苦難の闘いが続きますが、昨年、40歳での'00年度最後の試合、強豪ゼルグ・ガレシック戦で、立ち会いの片足タックルで捕獲した左足を離さず計80発のパンチを被弾しながら諦めずに、濃密すぎる1R、1分40秒、執念の膝十字でタップを奪いました。
あの試合は桜庭の殴られっぷりを考慮してレフェリーがストップするべきだったのではないか、という物議を醸しまくりましたが、私に言わせればそんなことはありません。
あの試合、私はモニターの前で、「足、取ってんだから絶対、止めんなよ!」「足、離したら止めてもいいけど、よく見てろよ!まだ取ってっかんな!」と絶叫して観ました。
2000年5月に格闘技史に燦然と輝くホイス・グレイシー戦をやった桜庭が'00年代最後にホイス戦に次ぐと言っても過言でない超絶カタルシスの試合をやってくれたという点でMVP。
桜庭和志という凄玉の登場人物がいなかったら世界のMMAの歴史は全く違ったものになっていた筈。
②桜庭和志対ホイス・グレイシー(2000年5月1日)
この試合を選んだアンケート回答者は35人中、6人です。私としては「それだけかよ」という思いですが順位は一位です。
これほど試合内容、劇的結末とともに物語性で燃えた試合は後にも先にもありません。
桜庭がホイスの兄貴のホイラーを撃破した時からで半年近くのストーリーメイキング、桜庭の先輩の高田延彦がホイスの兄貴のヒクソンに最初に負けた時からで二年半、そしてグレイシー兄弟の父、エリオがリオ・デ・ジャネイロで木村政彦に敗れてからだと49年の歳月が作り上げた大河ドラマです。
この大河ドラマの起承転結の「転」に当たる2000年1月31日の第一回PRIDEグランプリ一回戦終了から5月1日の準々決勝の桜庭ーホイス戦当日までの、試合決定、ルール問題、互いの挑発を含む濃密な三ヶ月間の血沸き肉踊る期待感は忘れられません。
余談ですが私、フィラデルフィアのマクササイズでホイラーとホーケルの柔術セミナーに参加したことがあります。
で、ホーケル・グレイシーのセミナーの時、師匠のへジ・ラブリがやたらと私のことを"He's Sakuraba's brother"とホーケルに言う訳です(笑)。
ホーケルは"Oh, you're the brother of Sakuraba who beat my brothers"と冗談で言うんだけども目が全く笑ってないので、ちょいと洒落にならなかったです(笑)。まあ、セミナー受講者達はウケまくってたけど。
③中量級が興行の柱になり得たこと
これは一重に魔裟斗の功績です。魔裟斗の大躍進以前はボクシング以外の中量級は興行のサイズ的に全て後楽園ホール止まりでした。
K-1も含めて総合格闘技はプロレスがケース・スタディーになっているので主役は常にヘビー級だった訳です。
魔裟斗以前に桜庭がメインを任されるスターになりましたが自分の適正体重の階級でやらせてもらえるようになるまでは何年もかかっています。
それに桜庭の体重はボクシング、キックボクシングではヘビー級です。
そのヘビー級偏重の歴史に風穴を開けたK-1 MAXをスタートさせた石井和義の功績も大きいですが、見事に期待に応えて8年間、MAXを牽引した魔裟斗こそ格闘技界の構造改革をなし得た意味で褒め讃えられるべきです。
魔裟斗の力によって中量級格闘技は後楽園ホール→代々木第二体育館→日本武道館→横浜アリーナ→さいたまスーパーアリーナ→東京ドームにスケールアップしたと言えます。
魔裟斗引退後の今年以降、K-1 MAXの興行規模縮小は避けられないでしょうから、魔裟斗が残した貯金がまだあるうちに次のスターが出て来るかどうかがMAXの生き残りのカギです。
はっきり言って、一番、期待できるのは去年までのK-1 MAXの大関以下ではなく梅野孝明です。
④フジテレビ
私はハードコアな格闘技者なので誌某体でもオンライン・メディアでもかなり色々と読みますが、ここ数年、特に今年に入ってから、つくずく感じるのは、私と同様、TBSの救いようの無さを嘆いてる盟友が本当に多いということ。
ワーストMVPは誰かと訊かれれば、一番、駄目だった選手を一人、挙げるのが普通ですが、kamipro AwardではTBSが三票獲得で一位です(笑)。
ただ、これは、はっきりとTBSと書いた人が三人という話しで、例えば『「視聴率=おもしろさ」だと勘違いしているバカ関係者』とか「谷川貞治&テレビ局」などもTBSに一票と考えると、もう少し増えます。
私はTBSに関しては大晦日が終わった時点で、
「知識がない連中に勉強しろと言うことは出来るけど、愛情のない連中に格闘技を愛せよ、と言っても無理だし、愛情のない馬鹿どもに格闘技を愛する連中が何を欲しているかを分かれと言っても土台、無理なので、救いようのないバカは放っとくしかないだろう」
というスタンスである程度、達観しています。
しかし、今だに許せない、というより理解できないのが「フジはヤクザと付き合いません」という聖人君子の弁論大会みたいな訳のわからない理由でPRIDEを切り捨てたフジテレビです。
結局、最後まで「関係者A」とか以上の我々が納得できる筋道だった説明はただの一回もありませんでした。
金子賢のデビュー戦までやらせといて「臭いものに蓋」でポイ捨てだもの、一体どっちがヤクザだよ(笑)。
kamipro Awardではフジテレビと応えたのはターザン山本ひとりですが、PRIDE崩壊に関わった人物名を挙げた人は5人います。
⑤K-1 World MAX 日本代表決定トーナメント
(2002年2月11日、国立代々木競技場第二体育館)
2004年4月のPRIDE無差別級グランプリ一回戦と甲乙つけがたいところですが、「新しいものの始まり」であったことと「ジャンルを背負うスターが誕生した」ことで、K-1 MAX本格発進となった伝説のワンナイト・トーナメント大会をベスト興行とします。
⑥エメリヤーエンコ・ヒョードル対ジョシュ・バーネット
(予定されていたのは2009年8月1日)
この試合は世界中の格闘技ファンに期待された中、キャンセルとなり、試合自体のキャンセルはおろか、大会全体のキャンセル、引いては団体の崩壊までも招いた、ネガティブにスケールの大きい幻の大勝負です。
これ以前はブッチギリで、1995年10月9日、東京ドームで予定されていた蝶野正洋対宮戸優光でした。まあ、これは'90年代のナンバーワンということになりますけど。
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