「カラオケ」は時代を演出する小道具として有効です。
時代的に「他の客達の眼前で歌う時代」と「ボックスの時代」に大きく分けられます。
そして、前者には「家庭用8トラックの時代」も含まれます。
日本ではもう、一般的にカラオケといえばボックスになりましたが、2008年の「秋深き」の、客にホステスさんがついて一緒に飲むタイプの店や、2007年の「キトキト!」のホストクラブなどで、他の客の前で歌うスタイルも健在です。
「他人の前で歌う時代」のカラオケは、場所はカラオケスナックか温泉などの宴会場ですが、時代的にはまず、8トラックと歌詞カードでしょう。
「男はつらいよ」シリーズは演奏なしの歌やコーラス、宴席での手拍子手揉み唱歌、またはタコ社長の工場の労働者諸君達のギターの伴奏つきのコーラスのシーンは数多くありますが、カラオケとなると私の記憶に登場するのはかなり遅く、1989年の「男はつらいよ 寅次郎心の旅路」で、自殺を図ったノイローゼの柄本明を元気づけるべく寅さんが電車の車掌さんを付き合わせて旅館でドンチャン騒ぎをやるシーンが最初です。
絶対とは言えませんが、あの宴会で怒濤のノリノリぶりで歌う車掌さん・笹野高史は右手にマイク、左手に歌詞カードを持っていたと思います。間違っていたらすいません。右手の小指は間違いなくピーンと立っていました(笑)。
小林克也大先生初主演の「逆噴射家族」では念願の一戸建てマイホームで、タレント志望のマセた娘、工藤夕貴が既に憶えている歌詞をカード無しで熱唱しています。曲は小泉今日子の「艶姿ナミダ娘」。
1985年の相米慎二監督の「台風クラブ」では、台風で土砂降りの晩に、不真面目中学教師の三浦友和が自宅で親類と家庭用8トラック・カラオケで盛り上がっており、当然、片手に歌詞カードを持っています。
同じく、相米慎二の1983年の永瀬正敏の銀幕デビュー作、「ションベンライダー」の終盤の「ギンギラギンにさりげなく」も忘れられません。
厳密にはカラオケではなく三味線です。
ごく普通の中学生、永瀬正敏、河合美智子、坂上忍の三人組がヤクザの親分さん仕切りの芸者と組員がい〜っぱいいる大座敷の大宴会で、三味線の多重奏をバックに「ギンギラギンにさりげなく」を歌い踊ります。
カラオケの歌詞は、この歌詞カードの時代とレーザー・カラオケの「画面に詩の内容に合わせて作られた画像が入る時代」の間に、「画面に歌詞だけ映る」時代というのがあり、Jennifer Love Hewitt主演の1998年のサスペンス、"I Still Know What You Did Last Summer"や、Hilary Swank主演で実在の人物の人生を描いた1999年の"Boys Don't Cry"や、2002年のBritney Spearsの青春物、"Crossroads"などの、「アメリカのアメリカ人がやってる店のカラオケ」のシーンはみな、この「画面に歌詞だけが映る」タイプです。
アメリカで「カラオケ屋」というのは日本人、韓国人、中国人、などのアジア系の店しかありません。
ごく普通のアメリカンな店のカラオケというのは、店にフルセットを常備している訳ではなく、フル装備のカラオケDJを呼んで、例えば、"Every Wednesday, Karaoke Night, From 9:00 P.M. to 2:00 A.M."のような日替わりアトラクションのようなカタチで行われます。
よって、「カラオケ屋」ではなく、「バーのカラオケの日」なのです。
この手のカラオケDJのソフトは今だに「モニターに歌詞だけ映る」形式です。
カラオケ屋の方は、一般的に、部屋代チャージのボックスと曲ごとにチャージのラウンジが両方ありますが、この手の店に行く一般アメリカ人は、かつてはカラオケ好きのアジア人について行く友人のアメリカ人だけでした。
カラオケボックスなどという物は、例え大都市でも、ごく普通のアメリカ人は知らないのが当然の遠い存在だったのです。
しかし現在は、カラオケ屋におけるアメリカ人グループの割合はかなり高くなってきています。
我が街フィラデルフィアが誇る居酒屋、Yakitori Boyの二階のカラオケJapasは、週末はカラオケ好きがかなり広い店内から溢れかえって店の外で順番待ちをするくらいの盛況ぶりですが、最近の客層の半分以上はアメリカ人です。
とは言っても、アメリカでの「ボックス」のカラオケはまだまだ大都市でしか知られておらず、アメリカ映画にカラオケボックスのシーンが登場するようになったら、ひとつの大きな時代の変換と言ってしまえます。
私の記憶の中のカラオケ発祥の先進国、日本の「歌詞だけモニター」の時代、最後のカラオケシーンは、永瀬正敏主演の"Cold Fever"です。1995年。
コードレスじゃないマイク故に床上1メートルぐらいの高さに位置する歌詞だけモニター(withマイクを、ソフトクリームのテイクアウト用型紙の要領で安置する穴、二つ)は、映像付きのレーザーディスクの発展とともに徐々にフェイドアウトしました。
そしてボックスの時代になって、しばらくして完全にコードレスになったようです。
カラオケがボックスの時代になってからの映画のシーンで強烈に印象深いのは「新・仁義の墓場」。
かつての、主演・渡哲也、監督・深作欣二のヤクザ・クラシックを岸谷五朗、三池崇史でリメイクした現代版です。
この中で、キレキレのヤバいタイプの武闘派ヤクザ、岸谷五朗がヒロイン・有森也実、演じるホステスさんを見初め、舎弟に命じてカラオケボックスに呼び出します。
有森也実が部屋に入ってみると、曲はBGMも含めてかかっておらず、岸谷五朗は片手はマイク、片手はポケットの中という状態でソファに座っており、エコーの効いたマイクに口をつけて、
あ〜〜あ〜〜あ〜〜あ〜〜あ〜〜あ〜〜あ〜〜あ〜〜、と唸っているのです(笑)。あれはヤバすぎる。
世代の違いをまざまざと感じたのは、1999年の井筒和幸作品、「のど自慢」。
NHKののど自慢が群馬県の地方都市にやってくることになり、オーディション前日に練習のためカラオケボックスが地元の人達で溢れかえります。
その中に学校帰りの高校生のグループがあり、飲酒はしてないにしろ、私は「これ見つかったら停学になったりしないのだろうか?」と心配になりました(笑)。
岸谷五朗の「仁義の墓場」にも出てきますが、豊川悦司の2006年の「やわらかい生活」には、カラオケボックスのメニューに載ってるものとは思えないグレードの高い寿司が登場します。
あれは、雀荘におけるカツ丼と同じ、いわゆる外注の出前なのでしょうか。
宮迫博之が時代錯誤に満ち満ちた喫茶店を開店する2008年の「純喫茶磯辺」の店内にはカラオケとタンバリンがあります(笑)。
さて、押尾学がカラオケの生みの親、井上大佑という人を演じた、そのものズバリ「カラオケ」という映画では、カラオケがいかにして発明されたかが克明に描かれています。
空のオーケストラ→カラオケ、という名称が定着する前の呼び名は、エイトトラックとジュークボックスを縮めて「8ジューク」(笑)。場所は神戸。
元々は飲み屋を回って歌を聴かせる流しが客の歌の伴奏をするようになったのが起源で、押尾学が「神戸中で一番の音痴」、小沢仁志の歌い方にとことん合わせて歌いやすいようにオルガンを演奏するスタイルが大層、気に入られます。
そして、中小企業の社長、小沢仁志にお得意さん接待の温泉旅行についてきて、気持ちよく歌わせてくれ(笑)と頼まれますが、行けないのでカセットテープに伴奏を録音し手渡します。
旅行から帰ってきた小沢仁志に「あのテープに合わせて歌ったら拍手喝采や!他の曲もテープに入れてくれへんか?」と乞われ、テープだけでなしに、ギターのミニアンプほどのスピーカーとカーステレオを100ボルトで稼働するように改造したのが「8ジューク」。
一番最初は、「これは当たらん。日本人ちゅうのは自己表現の苦手な人種や。誰が銭、払うて人前で歌うねん。」と言われたり、「ジュークやのに何で歌がないんや。不良品か?金、返してもらうで」と言われたりで普及が難航しますが、結局、勇気を出して歌ってみた人達が次々にハマり、製造が間に合わないほどのヒット商品になります。
が、著作権に関して何もしていなかったので大金を掴むことはついぞありませんでした。
この井上大佑という人は1999年にアメリカのTIMEマガジンで、「今世紀もっとも影響力のあったアジアの20人」にマハトマ・ガンジーや毛沢東、黒澤明などとともに選出されたそうです。
今現在、多いところでは8カ国語ぐらい揃えているカラオケ屋もありますから、確かに、その影響力たるや甚大でしょう。
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