ファイターのデビュー戦について書く第一回は、タイガーマスク。
専門的には初代タイガーや佐山タイガーとも呼ばれる、金曜夜8時のワールドプロレスリングの視聴率、毎週25%超えの新日黄金時代を築いた、あのタイガーマスクです。
デビュー戦は1981年4月23日、蔵前国技館。
この日のメインは世界統一構想、IWGPスタートに向けて猪木がNWFヘビー級王座を封印するべく行った最後のタイトル戦で王者決定戦、相手は最高のライバル、スタン・ハンセンでした。
猪木はこの試合に勝って新王者に返り咲き、直後に王座を返上してNWFタイトルを封印したのです。
私の記憶では、この日のワールドプロレスリングは珍しく二試合のみの放送で、放送開始最初の試合、いきなりのセミファイナルでタイガーマスクはデビューした筈です。
しかも、一切の予告なし。
日々、東京スポーツを読んでいるような都会のプロレス者にとっては事情は違ったかもしれませんが、私のような地方の中学生にとってのリアルタイムの情報源は放送終了間際の次週の予告のみです。当時は「ゴング」も「プロレス」も月刊でしたから。
そういう状況で前の週の予告なしに、いきなりタイガーマスクなる覆面レスラーの登場。
しかもマスクは立体感ゼロのペラペラ。あの時の蔵前の大観衆とテレビの前のプロレス者達の共通した感想は「何、これ?」だったと思います。
しかし試合は凄かった。試合内容に我々は魅せられた。
タイガーマスクの歴史的大成功の大きな要因は、デビュー戦で下の方の選手に勝って、徐々にランクアップしていくのではなく、いきなり、ジュニアヘビーのトップ中のトップだったダイナマイト・キッドとやったことだと私は思います。
当時のジュニアのエース、藤波の最高のライバルだったダイナマイト・キッドとスウィングしまくった試合をやってのけて、これぞ「人間橋」!というレベルの美しいブリッジのジャーマンスープレックス・ホールドでフォール勝ち。
月並みな表現で言えば「目が釘付け」でした。
実況の古館の「肌の色を見ると東洋人のようですね」とか、解説の小鉄の「みっちり、基本をやってるようですよ」などの言葉の数々も非の打ちどころがなかった。
後にダイナマイト・キッド、ブラックタイガー、小林邦昭の三人がタイガーマスクのライバルとして最高の評価を得て、ベースボールマガジン社は「タイガーマスクと3人の好敵手(ライバル)」というプロレス・アルバムを発刊しました。
その本の中でタイガーマスクはキッドのことを「毎回、最高の試合が出来るというドキドキした期待感が持てる最高の相手」と語っています。正に、
OPPONENTS ARE NOT ENEMIES!
タイガーマスクは、あらゆるゴタゴタに見切りをつけて人気絶頂の最中に引退する直前、お忍びでカナダ、カルガリーを訪れ、誰ひとり観客のいないジムでキッドと非公式の試合を行っています。
デビュー戦で肌を合わせ最高のライバルとして凌ぎを削った、性別を超えた恋人のようなキッドと気の済むまで技を掛け合い、サッパリと未練を断ち切ってタイガーマスクは引退したのです。
後に、グレート・サスケが徹底的な秘密裏の作戦進行によりダイナマイト・キッドを招聘し、みちのくプロレスのビッグマッチのリング上で、引退して時の経つタイガーマスクの素顔、佐山聡とスーパー・サプライズの対面を実現させたことがありました。
佐山が感激して泣いて泣いてしょうがない週プロのレポートの写真を目の当たりにして、当時、熱く胸、踊らせたプロレス者の一人として俺も泣けたね。

あのデビュー戦、鮮明に覚えています。
私は、当時、ダイナマイト・キッドのファンだったので、「なんで、こんな訳のわからん奴とやらせるんだ?」というのが、最初の感想。
マスクも、たしんさんのおっしゃるとおり、ペラッペラのチープなものでした。(佐山も、試合前にこのマスクを渡されて、絶句したとか・・・)
ところが、試合が始まるや、まさにタイガーの一挙手一投足に目が釘付け。タイガーの勝利に、思わず、「オーッ!」と叫びました。それほどの衝撃だったのです。
そういえば、控え室で女性アナウンサーにマイクを向けられたタイガー、スペイン語で答えていましたね。一応、国籍不明、謎のレスラーという設定なので。その時、マスクの下の目が、照れくさそうに笑っているように見えました。
投稿情報: オーハ | 2009/11/18 18:52
スペイン語の受け答えは憶えてないです!
しかし、コブラの
"Listen! Listen to me!"は、よく憶えてます。
私もキッドは大好きでした。
「爆弾小僧」にしろ「カミソリ・ファイター」にしろ本当にピッタリのニックネーミングでしたね。
新日の創立25周年だかの記念のドーム興行の時、最優秀外国人レスラーとしてスコット・ノートンが選ばれたのですが、その時、紙プロのライターの一人が、
「ああ?ノートンだあ?
ハンセンは?ホーガンは?シンは?アンドレは?ダイナマイト・キッドは?」と書いたのです。
私は「その通り!キッドはジュニアだから格下って見方は成り立たねえぞ!」と強く思いました。
投稿情報: たしん | 2009/11/18 19:32
ダイナマイト・キッドとタイガーマスクの試合は必ず人々を満足させる事の出来る定番でした。
秘蔵ビデオをひっくり返して見てみてもそう感じます。
その将来に渡る定番試合をデビューに持ってきたからこそ
人気が爆発したという、たしんさんの意見に賛成です。
両者が戦った日本最後の試合では
ツームントンパイルドライバーが双方あわせて5回出たのを憶えています(^-^;
投稿情報: Kazu | 2009/11/19 06:21
初代タイガーマスクのベスト版ビデオ全三巻の中に、ニューヨークのMSG初登場の試合が収録されてて実況はニューヨーク出張の古館なんだ。
そんでニューヨークにも、いきなりダイナマイト・キッド戦を最高峰のパッケージとして輸出したんだよ!
あの頃のWWFって、ブルーノ・サンマルチノからの伝統でドン・ムラコとかジェシー・ベンチェラみたいな鈍重なパワーファイター中心だったから、大観衆の「こんなもん、観たことねえ!」っていう驚きが凄え伝わってくんだよ!
「どうだ!凄えだろう!」と誇らしかった。
あの日本に比べればユルユルのロープじゃ、相当、苦労しただろうと思う。
投稿情報: たしん | 2009/11/19 06:57
ボブ・バックランドが王者になった時は驚きました。
なんせ筋肉王国のチャンピオンですからね。
ボブはUWFのだいぶ前からチキンウイングフェースロックを使っていました。
タイガーマスクとダイナマイト・キッドの試合といえば新日本が誇る輸出品と言われたほどでしたからね。
そう言えばタイガーマスクの秘話に、
ダイビングヘッドバットの際に、ロープがユル過ぎて反動がきつくなりすぎ、反対側のコーナーまで飛んでしまった逸話がありましたね(^-^;
9m弱飛んだ事になります。。。
投稿情報: Kazu | 2009/11/21 06:12
カルガリーでの非公式の試合の後に素顔の佐山とキッドが肩を並べてカルガリーの街を歩いてる写真というのも存在するんだけど、いかにも、佐山が悩みを打ち明けてキッドが頷いている、といった風情なんだ。
本当に肌を合わせて心を通わせた親友だったんでしょう。
俺は月刊プロレスかデラプロの見開き1ページのレポートでバックランドがアイアン・シークに負けて王座陥落したことを知って滅茶苦茶、驚き、次のページでアイアン・シークに勝ったホーガンが新王者になったのを知って、もっと驚いたのを鮮明に憶えてるよ。
「えらいことになった!」っつって。
投稿情報: たしん | 2009/11/21 06:28
あのWWFベルト異動劇は鮮明に覚えています。
バックランドvsシークの写真は沢山あったのですが
ホーガンの試合の写真が妙に少なかったような?(^-^;
ちょうど月刊プロレスかせ週間プロレスに移行する直前でしたね。
週間プロレス創刊号の表紙が、タイガーマスク引退だったと思います。
投稿情報: Kazu | 2009/11/21 16:04
週プロ創刊号の表紙は素顔の佐山だろう。
ニューヨークの主役がバックランドからホーガンに替わるあたりは、
"Bigger, Stronger, and Faster"で「マッチョなアメリカの夜明け」として紹介されている。
http://tashin.sanbi.us/2009/06/post-ca6b.html
投稿情報: たしん | 2009/11/21 17:52